義民 持田太郎兵衛 と妻 お喜与碑
江戸時代に起きた持田町の松樹伐採疑獄の話です。当時城下町松山の東南に石手川があり、護岸用として堤防にたくさんの松が植えられていました。この松の木が薪炭用として盗伐した持田村住民をまもるため、村人に代わって「私が盗みました」と申し出て白洲に出頭し、住民のために犠牲となった義民持田太郎兵衛とその妻、お喜与が喜与大明神になって、喜与町の由来なったという逸話を紹介します。
江戸時代に起きた持田町の松樹伐採疑獄の話です。当時城下町松山の東南に石手川があり、護岸用として堤防にたくさんの松が植えられていました。この松の木が薪炭用として盗伐した持田村住民をまもるため、村人に代わって「私が盗みました」と申し出て白洲に出頭し、住民のために犠牲となった義民持田太郎兵衛とその妻、お喜与が喜与大明神になって、喜与町の由来なったという逸話を紹介します。
防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-
本サイトは、四国各地の土地柄(過去の災害経験)から、災害を未然に防ぐ目的をもって行われる災害時の避難行動や普段の備えにも生かされている取り組み、知恵・教訓が石碑などに伝承され、今日の防災に活かせる教訓がある防災風土資源の情報と誰でもが簡単にできるローテク防災術を紹介するサイトです。
0コメント