2025.07.07 05:24中江藤樹が住んでいた城下町大洲と肱川(大洲市)愛媛県大洲市のかつての大洲城の三の丸にあたる大洲高等高校内には、中江藤樹が住んでいた旧邸を模した至徳堂が中江藤樹(なかえとうじゅ)の邸跡として復元されています。中江藤樹は、近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者で、近江聖人と称えられた有名な偉人として知られています。彼は9歳で伊予国(現在の愛媛県)に移り住み、大洲藩の家臣として仕え、27歳で故郷近江に帰...
2025.06.28 05:21坂本龍馬脱藩の道・肱川下りと肱川のバランスを取った治水対策(大洲市)愛媛県内子町の小田川に坂本龍馬が土佐藩を脱藩し、長州藩へ向かう際に通った宿間亀の甲(写真1)があります。かつてこの宿間村(現在の内子町)の亀の甲は、川舟の交通の要所として栄えていました。龍馬が、この地で川舟に乗って、小田川、肱川を下り、大洲、長浜を経て長州へ脱藩したことで知られています。この文書では、幕末、坂本龍馬が脱藩の際に通った肱川(ひじかわ)の治水対策...
2025.06.16 06:41百々越前の高知城築城と古地図に見える治水対策の工夫(高知市)高知城は土佐藩の初代藩主山内一豊(やまうちかつとよ)が慶長6年(1601)8月に築城総奉行に家老の百々越前守(どどえつぜんのかみ)を任命し、築城させたことが知られています。この文書では、高知城築城期に百々越前が主導した治水対策の工夫と、それが古地図にどのように記録されているかについて解説します。特に、水害の多発する低地に城下町を築く上で、いかに先人たちが自然...
2025.06.11 02:30山崎弥右衛門の江の口川の開墾と高知の水害リスク(高知市)高知市の江ノ口川が国分川に流れ込むところに弥右衛門橋があります。その名称は山崎弥右衛門(やまさきやえもん)さんに由来します。山崎弥右衛門は、潮江村の庄屋で高知城下の東端の新田を開発したことで知られています。山崎弥右衛門は、江戸時代初期に高知市で新田を切り開いた人物です。彼の祖父は山内一豊(やまうちかつとよ)の土佐入国に際して京都から従い、弥右衛門自身は一度家...
2025.06.02 02:43安政南海地震の口承行事「大潮まつり」がある白皇神社(黒潮町)黒潮町田野浦の白皇神社(しらおうじんじゃ)は、安政南海地震の口承行事「大潮まつり」があります。この白皇神社は、黒潮町役場から南西方向に約5km行った田野浦漁港の近くの田野浦集落にあります。この白皇神社では、嘉永7年(1854)11月5日に起きた安政南海地震の記憶に継承する大潮まつりが昭和時代初期まで行われていました。現在まで約100年の間途絶えていたこの行事...
2025.05.26 03:16義経が吉野川を駆け抜けた伝説とその地城の水害リスク平安時代の末期、元暦2年(1185年)2月18日、源義経が徳島県小松島市(旧阿波勝浦)の田野町に上陸し、屋島に逃れた平家を追って、進軍していった順路を義経街道といいます。義経が小松島の海岸に上陸してから屋島に攻め入るまで、わずか1日と言われています。その中で、小松島市は、小松島市内を義経が駆け抜けた道を「義経ドリームロード」として、義経にまつわる伝説の場所の...
2025.05.12 01:52三好長慶・阿波三好一族の本拠地・勝瑞城・館跡の水害リスク(藍住町)戦国時代、織田信長に先駆けた天下人と呼ばれた三好長慶(ながよし)は、阿波の国(徳島県藍住町勝瑞)勝瑞城を阿波三好一族とともに本拠地としていた徳島の偉人です。現在、勝瑞城、勝瑞城館の跡地は、国の史跡に指定され、広大な土地での発掘調査が進められています。三好長慶は、室町幕府体制から脱却した中央政権として、近年大きな注目を集めています。その勢力圏は、山城・大和・摂...
2025.05.07 03:55新しい道・粟井坂をつくった大森盛籌の郷土(斎灘沿岸)の災害リスク(松山市)新しい道(粟井坂)をつくった大森盛籌(おおもりもりかず)は、伊予の国(愛媛県)風早郡小川村の庄屋に生まれました。当時、山道だった旧北条市と松山市を結ぶ、「粟井坂(あわいざか)」をみんなが歩きやすい海岸沿いの道に愛媛の土木の偉人です。この文書は、大森盛籌が当時険しかった山道の粟井坂を海岸沿いに改修した功績と、その出身地である瀬戸内海の斎灘(いつきなだ)に面する...
2025.05.07 03:50台湾電力の父・松木幹一郎の郷土(西条市西部地域)の災害リスク(西条市)台湾電力の父と呼ばれた松木幹一郎(まつきかんいちろう)は、明治5年(1872 年)に現在の西条市河原津に生まれました。後藤新平を助け、関東大震災の復興に尽力しました。その後、長年に渡り中断していた台湾日月潭(にちげつたん)における水力発電事業を完成させた愛媛が生んだ土木偉人です。この文書は、東予郷土館の松木幹一郎の功績の中から、帝都復興院副総裁時代の関東大震...
2025.05.02 05:08新幹線の生みの親・十河信二の郷土西条の災害リスク(西条市)新幹線生みの親、十河信二(そごうしんじ)は、明治17年4月14日、愛媛県新居郡中萩村大字中村(現在の新居浜市中萩)に生まれました。旧制西条中学校出身で、戦後の混乱期に第2代西条市長を務められました。JR伊予西条駅の鉄道歴史パークSAIJOに愛媛の偉人として功績と人なりが紹介されています。この文書は、西条市の鉄道歴史パークSAIJOにある十河信二記念館の功績の...
2025.04.28 06:14浜口雄幸の生誕地から見た五台山地区の災害リスク(高知市)四国出身者で最初の内閣総理大臣になった浜口雄幸(はまぐちおさち)は、明治3年4月1日、土佐国長岡郡池村唐谷(現在の高知市五台山)の家に生まれました。その生誕地は、下田川の南の高知東部自動車道高知IC高架橋下の高知市の駐車場から南東にある小道をおよそ100m行った所にあります。この文書は、高知市五台山にある浜口雄幸の生誕地周辺における過去の災害記録に基づき、そ...
2025.04.24 10:42武市半平太の生誕地から見た宝永地震津波(高知市)幕末に活躍した有名な武市半平太(たけちはんぺいた)は、土佐国長岡郡吹井村(現在の高知市仁井田)の土佐藩下士の中でも白札格という上士に準じた待遇受けていた家に生まれました。国史跡になっている生誕地は、下田川の瑞山橋から県道247号を約700m南に行った所にあります。この文書は、高知市仁井田にある武市半平太の生誕地周辺における宝永地震津波の記録に基づき、その歴史...