2025.03.25 08:34~地域を知る防災~四国防災風土資源フォローアップ調査個別整理表 (令和7年3月見直し)冊子の発行~地域を知る防災~四国防災風土資源知恵・教訓調査報告書(平成 28 年1 月発行) 以降のフォローアップ現地調査により、これまで新たに確認した防災風土資源を、その都度、追加して紹介してきました。昨年9月5日、四国防災八十八話マップが内閣府・国土交通省からNIPPON防災資産優良認定を受けて、この度、四国防災風土資源マップに四国防災八十八話マップの分かりやすい...
2025.03.25 07:45防災風土資源&ローテク防災術を活かす(令和7年3月版)冊子の発行『地域を知る防災』という視点から香川大学の客員教授の立場から、私は、「過去の災害の記録や教訓が、書物や石碑などに伝承され、今日の防災に活かせる教訓があるもの」を防災風土資源と定義して、これまで四国各地に伝承されている地震・津波、水害・治水、土砂災害、渇水・利水に関する防災風土資源を調査し、今日の防災に活かせる教訓を取りまとめてきました。過去の災害に関する知識...
2025.02.28 03:57庄野太郎と吉野川治水の重要性を説いた「芳川水利論」(石井町) 石井町役場から県道沿いにおよそ500m北東に行った所に天満神社があります。天満神社の小道に入った東に庄野太郎の生家跡地があります。 庄野太郎は、文化10年(1813年)に名西郡高川原村(現在の石井町)で生まれました。幼少の頃から漢籍を学び、16歳で江戸の昌平黌に学びました。その後、阿波に戻り私塾を開き、子弟の教育に尽力しました。この...
2025.02.25 12:12後藤庄助と吉野川両岸の用水路構想「吉野川筋用水存寄り申上書」(徳島市)徳島市国府町早淵の鮎喰川左岸堤防から南西に降りる道路をおよそ400m行った所に赤い屋根の大きな屋敷の後藤庄助の生家があります。後藤庄助は、鮎喰川左岸、現在の徳島市国府町早淵で天明7年(1787年)に生まれました。父・利八郎は藍商を営み、組頭庄屋として地域の治水事業に尽力しました。庄助も若くして藍商となり、諸国を巡りました。天保2年(1831年)には父の跡を継...
2025.02.14 06:17義民・山口吉右衛門と藍玉一揆(石井町)徳島県石井町の高浦中学校から北西にのびる県道平島国府線を少し西にいったところに藩政時代の藍玉一揆で犠牲となった5人の義民を祀る五社神社があります。この五社神社に祀られているのは、「後藤常右衛門(ごとうじょうえもん)」とその子「京右衛門(きょうえもん)」、「山口吉右衛門(やまぐちきちえもん)」とその子「市左衛門(いちざえもん)」、そして「宮崎長兵衛(みやざきち...
2025.01.30 07:44松山築城とおたた(売魚婦)の由来・瀧姫伝説(松前町) 愛媛県伊予郡松前町浜の天保山旧港の埠頭に〈おたた〉(売魚婦)の由来・瀧姫伝説の祖である瀧姫を祀った瀧姫神社(写真1)があります。この〈おたた〉さんは、かつては頭の上に桶に乗せ松前、松山を「魚いらんかえ-」といって魚を売り歩きました。愛媛県では、売魚婦( ばいぎょふ)としてよく知られています。 この〈おたた〉さんは、初代、松山藩主の加藤嘉明が松山城築城に際し...
2025.01.28 02:57吉野川の水を讃岐平野に導水の構想を提唱した大久保諶之丞の碑(三豊市)香川県三豊市財田町財田上の国道32号線沿いに大久保諶之丞君碑があります。この大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)(嘉永2年(1849)~明治24年(1891))は、四国の開発・産業の振興等に尽力した人物です。現代においては、香川用水や瀬戸大橋の発案者として知られています。この石碑の横に設置された解説板があり、大久保諶之丞の生い立ちから、香川用水や瀬戸大橋など...
2025.01.17 08:02久米通賢(くめ つうけん)の一文字堤防(坂出市)坂出市西大浜北の県道186号沿いの岸壁に久米通賢の一文字堤防の標示板があります。この標示板は坂出市教育員会が平成25年3月に設置されたものです。この標示板には、「1829(文政十二)年、久米通賢(くめつうけん)により築かれた坂出(東西大浜)塩田。この堤防の外には、その塩田堤防が今も残っています。」と記されています。この一文字堤防は、塩田を作るために現在の西大...
2025.01.17 07:59年貢分納を愁訴した義民・小村田之助(おもれたのすけ)の墓(高松市)高松市小村町地内の県道147号太田上町志度線の「小村町」交差点(ファミリーマート高松小村町店がある)の西100メートルの地点の道路沿いに義民・小村田之助(おもれたのすけ)の墓所があります。この小村田之助は、讃岐藩山田郡小村(現在の香川県高松市小村)の庄屋の21歳という若さで寛永20年(1643)の餓死者でるほどの大干ばつの窮状を訴えて死罪となった人で、墓所は...
2025.01.07 14:41今も活用されている鹿の井出水(しかのいですい)(高松市)高松市太田下町のサンフラワー通りから少しはいったところに、鹿の井出水(しかのいですい)自然公園があります。この石積みの小川がながれている公園の水辺の上流端には、鹿の井出水記念碑が平成3年5月に建立されています。この出水には、平安時代1122年(保安3年)に讃岐の国が大干ばつに見舞われた時に、居石(おりいし)神社に現れた一匹の鹿が、前足で土を掘った場所から清水...
2025.01.07 14:33義民・お秀(ひで)さんを祀った秀塚(ひでつか)神社(美馬市)美馬市美馬町北東原の徳島自動車道(美馬IC)を出た、徳島自動車道北側の側道沿いの擁壁上に義民・お秀さんを祀った秀塚神社があります。この現地の秀塚神社は、外観はほとんど神社の体をなしていない集会所のような建物の中にあり、その中に現在、義民・お秀と夫・与右衛門が祀られています。宝暦8年(1758)、阿波国美馬郡重清村(今の徳島県美馬市)庄屋の妻・お秀は、重清村の...
2025.01.07 14:25十夜ヶ橋永徳寺の平成30年7月大水害浸水最高水位標(大洲市)大洲市東大洲の松山自動車道大洲ICを出た国道56号の十夜ヶ橋交差点付近に、空海(弘法大師)が野宿をしたという伝説が残る有名な番外札所である十夜ヶ橋 永徳寺(とよがはしえいとくじ)があります。この永徳寺境内の太師堂に6年前の西日本(平成30年7月)豪雨の大水害で浸水した最高水位の表示した水最高水位標があります。境内に残る浸水痕跡の浸水の深さは、地盤から2.7m...