2025.10.13 09:10ヨハネス・グッセン頌徳碑と南海トラフ地震・津波災害痕(海陽町)ヨハネス・グッセン頌徳碑は、徳島県海部郡海陽町浅川川ヨリ東26-4(浅川漁村センター(海陽町浅川出張所)敷地にあります。ヨハネス・グッセン氏の功績は、現地の解説看板によると、1957年(昭和32年)2月10日夜半、当町(旧海南町)の船「高坂丸」が和歌山港からの帰航中に阿尾沖で火災・沈没しました。故国デンマークから横浜に向かっていた「エレン・マースク号」がこれ...
2025.10.05 09:21忘れないで82年前の南予の昭和18年水害痕(西予市・八幡浜市)昭和18年(1943年)7月の台風による記録的豪雨は、南予地域に甚大な被害をもたらした。西予市宇和町では、滝奥池と河内池の堤防が決壊し、人家倒壊や田畑流失という未曾有の災害が発生。その復興の様子は、河内池堰堤下の「都宮宇作殿頌德碑」(昭和29年建立)に刻まれています。この石碑やため池決壊、肱川氾濫、五反田川氾濫と多岐にわたる西予市・八幡浜市の現地調査の結果か...
2025.09.28 10:23増田淳と古川渡し・古川橋・吉野川橋(徳島市)吉野川河口から約4kmに架かる吉野川橋、長さ1071m、17のアーチをもつ単純曲弦鋼ワーレントラス橋の北詰、県道39号脇に木製の古川橋を長きにわたり守り続けた地元の庄屋・豊川仲太郎を讃える豊川翁之碑が、また吉野川橋上流100m付近に古川舟渡し跡の石碑があります。この吉野川橋の架設にまつわる歴史や当時の架橋技術について、現地調査、文献調査の結果から紹介します。...
2025.09.12 01:54水田房次郎と四国最初の川島排水機場(吉野川市)徳島県吉野川市川島町の川島排水機場敷地内には四国最初の排水機場の整備に尽力した水田房次郎(みずたふさじろう) 功績を讃えた「治水拓運の碑」が建立されています。この石碑のある川島内水地域の現地調査、文献調査の結果から紹介します。水田房次郎は、水害に苦しむ住民を救うため「町を治めんとする者は水を治めざるべからず」という強い信念のもと、昭和34年に川島町長に当選し...
2025.09.03 03:06松山城築造と日招八幡神社の『おとよ石』にまつわる伝説(松山市)『おとよ石』は、愛媛県松山市保免西の日招八幡大神社境内にある大きな石で、松山城を築城した加藤嘉明の家紋である「丸に二の字」が刻まれています。この石は、築城のために各地の大名から松前港に送られた石垣用の石の一つでした。この石と松山城の現地調査の結果から紹介します。伝説によると、この石は松山城築城の際に石垣用の石を運んでいた「おたたさん」と呼ばれる女性の一人、お...
2025.08.26 22:31~地域を知る防災~四国防災風土資源フォローアップ調査個別整理表 (令和7年8月見直し)冊子の発行この度、~地域を知る防災~四国防災風土資源フォローアップ調査個別整理表(令和7年8月見直し)冊子を四国防災共同教育センターから発行しました。この冊子は、平成 28 年1 月に発行した『~地域を知る防災~四国防災風土資源知恵・教訓調査報告書』 以降のフォローアップ現地調査により、これまで新たに確認した防災風土資源を紹介します。昨年9月5日、四国防災八十八話マッ...
2025.08.18 08:28郷土を救った芳川顕正と吉野川治水史に残る覚円騒動(吉野川市)芳川顕正(よしかわあきまさ)は、麻植郡川田村北島(現在の吉野川市山川町北島)の医師・原田民部の四男として天保12年(1841)に生まれました。明治23年(1890年)に文部大臣に就任し、「教育勅語」の草案・発布に携わったことで知られています。有名な偉人です。顕正は、幼少期から非凡な才能を発揮し、16歳の春に徳島城下に出て学問を続け、22歳で長崎で英語を学びま...
2025.08.16 06:33四万十町が生んだ偉人・谷干城と四万十川の明治23年水害(四万十町)谷干城(たにたてき)は、1837年(天保8年)2月12日に土佐国高岡郡窪川(現在の四万十町窪川)で生まれ、幕末から明治時代を駆け抜けた人物です。 維新後、西南戦争で熊本鎮台司令長官として西郷軍から熊本城を死守する活躍により、一躍名望を集めた有名な偉人です。彼は土佐藩の儒学者の四男で、幼少期から18歳までを窪川で過ごしました 。その四万十町窪川本町にある谷...
2025.08.12 15:07四万十川の明治23年の津野町桑ヶ市の河道閉塞場所(津野町)明治23年9月11日に発生した四万十川水害は、河口から167.6km上流に位置する津野町桑ケ市での山腹崩壊と河道閉塞(天然ダム決壊)が発端となりました。その河道閉塞場所を現地調査の結果から紹介します。この山腹崩壊の跡は、戦後の航空写真にも残されており、大規模なものであったことがうかがえます。明治23年豪雨の山腹崩壊斜面は、現在、樹木が繁茂して現地では、その場...
2025.08.11 02:40明治23年水害を伝える中土佐町大野見の石碑(中土佐町)四万十川には、明治23年(1890年)9月11日に発生した四万十川の大洪水とその甚大な被害を後世に伝える石碑が、四万十市、四万十町、中土佐町に合わせて6つあります。その一つで最も上流の中土佐町大野見地区にある「明治23年水害紀念碑」を紹介します。この石碑は、四万十川の河口160kmの土佐町大野見寺野の県道21号脇の畑地にあり、石碑の側面(写真2)には「昆ノ処...
2025.08.09 06:01明治23年水害を伝える四万十町上秋丸の石碑(四万十町)高知県高岡郡四万十町には、明治23年(1890年)9月11日に発生した四万十川の大洪水とその甚大な被害を後世に伝えるこれまでに紹介していない石碑が3つあります。その一つで窪川の街から18km上流の四万十川が大きく蛇行する沿岸の上秋丸地区にある「明治二十三年水害伝承碑」を紹介します。この石碑は、河内五社神社跡への登り口の階段脇にあり、正面には「水位此處二及」と...
2025.08.06 04:30明治23年水害を伝える四万十町七里の石碑(四万十町)高知県高岡郡四万十町には、明治23年(1890年)9月11日に発生した四万十川の大洪水とその甚大な被害を後世に伝える石碑が3つあります。その一つで窪川の街の少し上流の七里地区の沖代部落集会所にある「明治二十三年水害伝承碑」を紹介します。この石碑は、国土地理院の自然災害伝承碑地図にも登録されており、その伝承内容として、明治23年9月11日に台風による豪雨で四万...