久米通賢(くめ つうけん)の一文字堤防(坂出市)

坂出市西大浜北の県道186号沿いの岸壁に久米通賢の一文字堤防の標示板があります。この標示板は坂出市教育員会が平成25年3月に設置されたものです。

この標示板には、「1829(文政十二)年、久米通賢(くめつうけん)により築かれた坂出(東西大浜)塩田。この堤防の外には、その塩田堤防が今も残っています。」と記されています。

この一文字堤防は、塩田を作るために現在の西大浜北1丁目から築港宇多津線沿いに久米栄左衛門(通賢)が築いたものです。一直線に堤防が築かれていることから一文字堤防と名付けられ、きれいな海水を塩田に取り入れる装置や船が着けやすくなど久米栄左衛門(通賢)ならでは工夫が施されています。

坂出塩田は総面積131ha余りにおよぶもので、高松藩主の松平頼恕(よりひろ)は、その偉大な功績を称え後世に伝えるために、墾田地の東西中央にある菅原神社境内に坂出墾田之碑を建設しました。現在、その石碑は江戸時代を代表する貴重なものとして、坂出市の文化財に指定されています。

この久米栄左衛門(通賢)は、江戸時代の讃岐に二人の異才、平賀源内と久米栄左衛門通賢と云われ、稀代の経世家としてその名声は近隣諸国にも知られましたが、天保12年(1841)、62歳でその尊い生涯を終えています。墓は、郷里相生村馬宿(現在の東かがわ市引田の馬宿)の生家があった近くあります。

一文字堤防を造った通賢の偉業を礎に今日の坂出市が発展してきたことを伝える貴重な伝承碑であり。四国の防災風土資源であるといえます。

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防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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