年貢分納を愁訴した義民・小村田之助(おもれたのすけ)の墓(高松市)

高松市小村町地内の県道147号太田上町志度線の「小村町」交差点(ファミリーマート高松小村町店がある)の西100メートルの地点の道路沿いに義民・小村田之助(おもれたのすけ)の墓所があります。

この小村田之助は、讃岐藩山田郡小村(現在の香川県高松市小村)の庄屋の21歳という若さで寛永20年(1643)の餓死者でるほどの大干ばつの窮状を訴えて死罪となった人で、墓所はこの義民・小村田之助さんを供養するものです。

田之助は、悲嘆の涙に暮れる村民を救うため年貢の分納を、完納できないときは私財を投じて責任を果たす条件をつけて藩庁に嘆願した。藩吏は窮状察して許可したが、藩主の小姓が悪例を残すと言って反対し、寛永21年(1644)に斬首の刑に処された。藩主は処刑の停止の急使を遣わしたが間に合わなかった。 

そのエピソードが伝わっています。「急使が馬上から白旗を振って処刑の中止を知らせたが、刑場役人は「早く処刑しろ」の合図と思い、処刑したという。その場所(木太町)に田之助を祀る白旗神社が建立されています。

しかし、田之助の死は無駄でなかった。高松藩ではその後、毎年11月に8割・6月に2割の分納が認められた。農民たちは、高い志をもち皆の犠牲になった若い田之助の死を悼み弔いを続け、彼の死から222年後の慶応2年(1866)に宅地跡に墓を建立したものが現在に残っているものです。

この田之助の干ばつで困窮する農民を救済する年貢の分納の事績は、のちの讃岐国の発展の礎となりました。墓所前にある小村田之助之碑は、今日の香川県の発展を支えた貴重な義民伝承碑であり。四国の防災風土資源であるといえるものです。

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防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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