高知城下の3人の偉人生誕地と宝永地震津波の記録(高知市)

   幕末から明治かけて活躍した高知の有名な3人の偉人(坂本竜馬、板垣退助、後藤象二郎)は、高知城下に生誕地があります。土佐藩の上士であった板垣退助、後藤象二郎は郭中で生まれ、郷士であった坂本竜馬は上町で生まれています。龍馬の生誕地は国道33号の高知城前から西に約800m行ったところにあります。また板垣・後藤の生誕地は高知城前から逆に東に約200m行った天神橋通りにあります

  この高知城下の3人の偉人生誕地と宝永地震津波の記録の防災風土資源の紹介文書は、高知城下における宝永地震津波の被害と、その歴史から得られる教訓について解説するものです。特に、坂本龍馬、板垣退助、後藤象二郎という3人の偉人の生誕地が、津波によってどのような影響を受けたのかに焦点を当てています。

  江戸時代の高知城下町は、正保高知城絵図に見られるように、武士が居住する郭内を中心に、東西に町人の町(上町、下町)が広がっていました。特に、高知城の外郭にあたる武家居住地域の「郭内」は、水害や高潮から守るために、掘川や堤防で区画されていました。掘詰の東や升形の西には、城下を守る重要な中堤(水張堤)が築かれていました。

  この藩政時代の城下町における防災対策が、その後の3人の偉人の生誕地のある上町と郭中に被害に差をもたらしたという史実がありました。

   この史実は、現在の住民や観光客にとって、南海トラフ地震津波への防災意識を向上させる上で非常に有効な情報となると考えられます。

   太平洋に面し、南海トラフ地震津波による甚大な被害が想定される高知市の中心部は、鏡川が浦戸湾に流れ込む河口付近に位置する高知城周辺の低平地という地形的な特性と、この地域における過去の災害の歴史から学ぶことの重要性を示しています。

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防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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