砂糖づくりで高松藩財政の窮地を救った向山周慶を祀った向良神社(東かがわ市)

東かがわ市白鳥町湊には、江戸時代、白砂糖の製造に成功した湊出身の向山周慶(さきやましゅうけい)とそれを手伝った薩摩生まれの関良助(せきりょうすけ)を祀った向良神社(こうらじんじゃ)があります。神社は、国道11号線の湊川に架かる湊大橋の手前の「湊のバス停」の東の小道を南に約230m行った所にあります。

昔から「讃岐三白」という言葉があります。砂糖,綿,塩のことですが、中でも砂糖は、長い間苦労した研究の末に生産に成功し、高松藩の財政窮乏を救い、十二万石の高松藩が,明治維新の廃藩の時,新政府へ百万両という大金を引き継ぐことができたのは向山周慶のお陰とも言われています。

向山周慶は、高松藩第五代藩主・松平頼恭(まつだいら よりたか)時代の延享3年(1746)に、現在の東かがわ市湊に生まれ、16歳で平賀源内や高松の医者池田玄丈の研究を受け継ぎ、白砂糖の精製に成功した香川の偉人です。

周慶は、四国遍路の途中病で倒れた薩摩の関良助を助け、その礼としてサトウキビの苗を手に入れ、30年に及ぶ苦心の末、1790年に『雪のように白くて味も良い。舶来品よりも優れている』という評判の高い白砂糖を作りだしました。現在は讃岐の和三盆として有名です。

江戸時代の讃岐の代表的な特産物の砂糖等の讃岐三白は、その取引が盛んとなると藩財政を潤し、藩は、これらの産物を大量に輸送するため、交通路も整備され、街道が大いに利用されました。瀬戸内海沿岸部が南海トラフ地震津波で大きな被害を免れたこともこの交通網の整備と無関係ではないと考えられます。

向山周慶が活躍した時代、温暖で少雨な讃岐の気候に適した砂糖、綿、塩の産物が藩によって保護育成され、生産が増大し藩財政を潤し、高松藩の交通路も整備されました。瀬戸内海に面し、南海トラフ地震津波被害が比較的少ない地域であったと推定される地理的特性と、地域の過去の災害史実に学ぶことの重要性を示唆しています。

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防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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