大正4年の四万十川遭難慰霊碑(四万十市)
四万十川橋(赤橋)の下流、500mの四万十川左岸の県道342号沿いに大正4年の四万十川遭難慰霊碑があります。
この四万十川遭難慰霊碑は、平成2年4月に建立されています。その横には誌碑が中村高等学校同窓会によって翌年の平成3年4月に建立されていて、「大正4年5月12日 中村高女の養蚕実習採集のため渡川中舟の転覆により高女生徒及び救助せんとした中村中学生徒 その他一般人が遭難溺死した」こと等が刻まれています。
また誌碑には、四万十川(渡川)の渡船転覆の参事で亡くなった、幡多郡立実科高等女学校(現在の中村高等学校)の殉難者5名の方の名前と外6名と記され、ここに七十七回忌に当り鎮魂のためこの碑を建てるとあります。
当時は百笑で渡川が二又に流れ中島となって、不破の愛宕さんの前まで広大な桑園があって、中村の養蚕は殆どこの渡川でまかなっていました。春先の雨の中、渡川の中河原で十人あまりの生徒が一般人と共に渡船に乗りこんだ。荒瀬で船は左右の大きくゆれ、ワッと云う叫び声とともに船は左舷にかたむいて、濁流の中へつぎつぎに激流に払いおとされた一瞬、あび叫喚悲鳴の声も激流の音にかきけされ、哀れ11人が無くなったと遭難時の悲惨な様子が郷土史などで紹介されています。
しかし、地域の住民の皆さんには、四万十川に抜水橋が無かった時代の四万十川遭難の惨事は、意外と知られていません。この自然災害伝承碑は、四万十川の堤防・橋等の社会資本整備や洪水の歴史から水害リスクを教えてくれています。
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