明治23年9月12日洪水の鷣(はいたか)神社石段の印石(四万十市)

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四万十川河口から、およそ30km上流の四万十市西土佐の口屋内(くちやない)にある「鷣(はいたか)神社」の石段には、明治23年9月12日洪水の浸水高を示した印石があります。

この印石は、幅15cm、奥行き14cm、高さ49cmの大きさで階段側面に「明治廿三年九月十二日大洪水標 此石頭迄浸水」の文字が刻まれています。印石は、鷣神社石段の下から42段目にあります。現地で階段下の道路から測定すると9.1mの高さにありました。その標高を国土地理院の「標高がわかるWeb地図」から推定すると明治23年洪水浸水位は標高37.1mになり、現在の普段の水面からからの高さは18.1m上昇した大洪水であったことが分かりました。

この洪水は、下流の中村町(現四万十市)では低地はもちろん上町、本町辺りも瞬く間に浸水し、中村町の被害は田損地86町余、畑損地70町余、変死人13人、本家流失45戸、全倒13戸、半倒13戸、大破279戸に及んだ大災害であったと記録されています。またこの洪水は、後に昭和4年(1929)に着工される渡川(現在の四万十川)改修工事の計画を決める洪水になっています。

しかし、四万十川の沿川に住む多くの皆さんには、この時の水禍は、あまり知られていません。それでもこの印石の自然災害伝承碑は、その後、先人が水禍を乗り越えて、高石垣づくりの住家の洪水対策になどに活かされていて、地域の水害リスクを教えてくれています。

防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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