苗羽の昭和51年災害の被災復興之碑(中筋川砂防堰堤前公園内)

小豆島町苗羽(のうま)地区の中筋川上流の中筋川砂防堰堤前の公園に昭和51年災害の復興記念碑があります。

この被災復興之碑には、苗羽(のうま)地区は、昭和49年と昭和51年の集中豪雨災害で被害を蒙ったこと、特に昭和51年集中豪雨は、苗羽地区は人命の犠牲こそなかったが被害は甚大であったこと、さらに災害後の復興内容など、後世への警告、指針などの教訓が記されています。

昭和51年災害の山腹崩壊の爪痕が残る昭和52年航空写真からは、苗羽地区に流れ込む中筋川砂防堰堤や横の山腹崩壊で土石流が中筋川下流に流れている痕跡が分かり、土石流で大きな被害があったことが記録されています。

2024年10月13日の現地調査では、苗羽地区の南の岬に田浦の苗羽小学校田浦分校があります。小豆島町出身の壷井栄の戦時下の女教師と生徒のふれあいを描いた「二十四の瞳」の舞台になった場所ですが、この場所も土石流の警戒区域になっていることが分かりました。

しかし地域の住民の方には、小豆島は48年前の51年災害で、田浦地区や坂手地区(壷井栄生誕地)なども大きな被害を受けたことは、あまり知られていません。

この苗羽地区の被災復興之碑は、現在も地元の方の手によって大切に保全され、昔の土砂災害の被害を伝える貴重な防災資産であることを教えてくれています。

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防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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