義民・山口吉右衛門と藍玉一揆(石井町)

徳島県石井町の高浦中学校から北西にのびる県道平島国府線を少し西にいったところに藩政時代の藍玉一揆で犠牲となった5人の義民を祀る五社神社があります。

この五社神社に祀られているのは、「後藤常右衛門(ごとうじょうえもん)」とその子「京右衛門(きょうえもん)」、「山口吉右衛門(やまぐちきちえもん)」とその子「市左衛門(いちざえもん)」、そして「宮崎長兵衛(みやざきちょうべえ)」の5人の人物です。

彼らは、反乱を計画した罪で宝暦7(1757)年3月に鮎喰川の河原で磔刑の処されたものたちですが、その義心に感じ入った人々によって小祠が後につくられ、明治12(1879)年には、現在の社殿が建てられ神として祀られています。

そもそも5人が反乱を企図する徳島藩の藍政策にありました。10代藩主・蜂須賀重喜の時代、財政の立直しを図るため、不作によって藍作農家が困窮する中、藍方御用場(藍方奉行所)による葉藍の専売制を強化しようとしました。

これに対して、藩の重税に苦しんだ農民たちは、五人のリーダーのもと、蜂起を試みましたが、残念ながら失敗に終わりました。しかし、彼らの犠牲は無駄にはならず、藩は重税を軽減するなど、政策を改めました。

この藍玉一揆の後、藍の生産量は飛躍的に増加し、阿波藩の経済を支える重要な産業となりました。五社神社には、毎年多くの参拝者が訪れ、彼らの偉業をしのんでいます。

吉野川沖積平野で起きた藍玉一揆の義民たちの行動は、地域の風土や暮らしの中で生まれた、防災意識の高さを示す貴重な歴史資料です。彼らの行動は、現代の防災対策においても、先人たちの知恵を見つめ直し、地域の防災力強化に繋げることの重要性を教えてくれます。

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防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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