武市半平太の生誕地から見た宝永地震津波(高知市)
幕末に活躍した有名な武市半平太(たけちはんぺいた)は、土佐国長岡郡吹井村(現在の高知市仁井田)の土佐藩下士の中でも白札格という上士に準じた待遇受けていた家に生まれました。国史跡になっている生誕地は、下田川の瑞山橋から県道247号を約700m南に行った所にあります。
この文書は、高知市仁井田にある武市半平太の生誕地周辺における宝永地震津波の記録に基づき、その歴史から得られる教訓を解説するものです。特に、生誕地周辺の下田川流域では、過去の宝永地震津波(南海トラフ巨大地震津波)が想定外の方向から侵入した記録や、近くに残る津波堆積物の痕跡に焦点を当てています。
武市半平太が住んでいた下田川流域は、かつては宝永地震津波で大きな被害を受けています。下田川流域低地の五台山、吸江、屋頭、下田の集落が、東の現在の南国市にあった里改田から浸入した、想定外の津波によって被害を受けました。
また生誕地の南の山を隔てて津波が押し寄せた太平洋に近い場所に、津波堆積物の痕跡が残る住吉池と石土池があります。土佐湾の海岸に近く、人為的な撹乱が少なかった住吉池、石土池などでは、最大約7000年前までの記録を遡ることができ、宝永地震クラスの津波がほぼ300年から350年に1度の頻度で発生したことを示す堆積物が見られるとされています。
太平洋に面し、南海トラフ地震津波による甚大な被害が想定される下田川流域の仁井田は、下田川が浦戸湾に流れ込む河口付近からの津波だけでなく、東の南国市からの津波の浸入も想定される低平地という地形的な特性を持っています。この地域の津波堆積物の痕跡が示す津波発生の歴史から学ぶことの重要性を示唆しています。
この写真をクリックして、現地探訪用個別調査表や写真等をご覧ください。
0コメント