浜口雄幸の生誕地から見た五台山地区の災害リスク(高知市)
四国出身者で最初の内閣総理大臣になった浜口雄幸(はまぐちおさち)は、明治3年4月1日、土佐国長岡郡池村唐谷(現在の高知市五台山)の家に生まれました。その生誕地は、下田川の南の高知東部自動車道高知IC高架橋下の高知市の駐車場から南東にある小道をおよそ100m行った所にあります。
この文書は、高知市五台山にある浜口雄幸の生誕地周辺における過去の災害記録に基づき、その歴史から得られる教訓を解説するものです。特に、生誕地周辺の低平地では、下田川の水害や、過去の宝永地震津波(南海トラフ巨大地震津波)が想定外の方向から侵入した記録、近くに残る津波堆積物の痕跡に焦点を当てています。
浜口雄幸が住んでいた下田川流域は、かつては宝永地震津波で大きな被害を受けています。下田川流域低地の五台山、吸江、屋頭、下田の集落が、東の現在の南国市にあった里改田から浸入した、想定外の津波によって被害を受けました。
また仏像構造線の北の低平地を流れる下田川の南の山を隔てて津波が押し寄せた太平洋に近い場所に、津波堆積物の痕跡が残る住吉池と石土池があります。 これらの土佐湾の池などには、「「約7000年前までの巨大津波の繰り返し」の貴重な記録が得られています。
大平洋に面し、南海トラフ地震津波による甚大な被害が想定される五台山地区は、下田川が浦戸湾に流れ込む河口付近からの津波だけでなく、上流からの津波や洪水の浸入も想定される低平地という地形的な特性を持っています。この地域の災害リスクをハザードマップや過去の災害記録から学ぶことの重要性を示唆しています。
この写真をクリックして、現地探訪用個別調査表や写真等をご覧ください。
0コメント