新幹線の生みの親・十河信二の郷土西条の災害リスク(西条市)
新幹線生みの親、十河信二(そごうしんじ)は、明治17年4月14日、愛媛県新居郡中萩村大字中村(現在の新居浜市中萩)に生まれました。旧制西条中学校出身で、戦後の混乱期に第2代西条市長を務められました。JR伊予西条駅の鉄道歴史パークSAIJOに愛媛の偉人として功績と人なりが紹介されています。
この文書は、西条市の鉄道歴史パークSAIJOにある十河信二記念館の功績の中から、十河信二が西条市長を務めた時代(昭和20年7月~21年4月)の故郷の復興に尽力した記録等に基づき、その歴史から得られる教訓を解説するものです。特に、加茂川周辺の水害や、沿岸低地部に残る高潮被害に焦点を当てています。
十河信二は社会に貢献したいと鉄道院に入省し、その後、1945年(昭和20年)61歳の時に、「市長になってほしい」と請われて西条市長に就任しました。その際、十河信二は「①給料はいらない、②国からの用があったら辞める、③誰かの反対があるなら辞める」という条件を出したとされています。西条市長となった十河信二は、河川の治水や農地の造成事業、学校教育などに力を入れ、故郷の復興に尽力しました。
十河信二が学んだ旧制西条中学校あった西条市は、加茂川の扇状地に発展した街です。西条市の燧灘の瀬戸内海沿岸部低地は、昔から加茂川の水害や高潮被害などの自然災害に見舞われてきました。そのため災害記録を伝える堤防決潰記念碑、客土記念碑などの自然災害伝承碑が残っています。また西条市の洪水ハザードマップや防災マップには瀬戸内海沿岸部の低平地は、洪水や高潮・津波など、災害リスクが高いことが示されています。
このように西条市は、加茂川の堤防決壊や、瀬戸内海に面した低地が台風の高潮被害など、自然災害に見舞われてきた地域です。加茂川が瀬戸内海に流れ込む河口付近の低地部は、洪水や高潮だけでなく、南海トラフ地震の津波の浸入も想定される地形的な特性を持っています。この地域の災害リスクを、ハザードマップや過去の災害記録から学ぶことの重要性を示唆しています。
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