台湾電力の父・松木幹一郎の郷土(西条市西部地域)の災害リスク(西条市)

台湾電力の父と呼ばれた松木幹一郎(まつきかんいちろう)は、明治5年(1872 年)に現在の西条市河原津に生まれました。後藤新平を助け、関東大震災の復興に尽力しました。その後、長年に渡り中断していた台湾日月潭(にちげつたん)における水力発電事業を完成させた愛媛が生んだ土木偉人です。

この文書は、東予郷土館の松木幹一郎の功績の中から、帝都復興院副総裁時代の関東大震災復興や、台湾電力株式会社社長時代の東洋一の最大出力10 万kW発電所を完成させた功績、そいて出身地の瀬戸内海の燧灘に面する東予地方の災害記録等に基づき、その歴史から得られる教訓を解説するものです。特に、瀬戸内海燧灘沿岸における洪水・高潮・津波被害に焦点を当てています。

松木幹一郎は、4歳で『考経(こうきょう)』を素読するなど周囲から神童と呼ばれていたこと、明治29 年に東京帝国大学を卒業し逓信省に入り、1907年鉄道院総裁となった後藤新平の下で秘書課長に任命され、その時に、同郷で12歳年下の青年、後に「新幹線の父」と呼ばれることになる十河信二を後藤新平に紹介したに紹介し、活躍の場を与えるなどした人でもあります。

松木幹一郎が幼年期を過ごした生家周辺の東予地方は、藩政時代の干拓事業で海面に築堤して陸地にした地域であり、燧灘沿岸に低地が広がっています。 そこに南海地震で地盤沈下おこり東予地方は80~100cm地盤沈下しました。3年後、壬生川では、愛媛県下最大の沈下量55cmが残った地域です。そのため、戦後の昭和25年キジヤ台風で広江川の堤防決壊し浸水被害に見舞われました。

この西条市西部地域の燧灘沿岸は広江川河口部など、標高が0.5m以下の海抜ゼロ地帯が広がっている低地で洪水・高潮・津波など災害リスクの高い地域です。

このような洪水・高潮・津波などを伝える災害記録、四国が生んだ偉人が台湾の社会資本整備で活躍した史実は、現在の住民や観光客に、四国の瀬戸内海沿岸部低平地の災害リスクの注意を促し、防災意識を向上させる上、非常に有効な情報となると考えられます。

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防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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