三好長慶・阿波三好一族の本拠地・勝瑞城・館跡の水害リスク(藍住町)

戦国時代、織田信長に先駆けた天下人と呼ばれた三好長慶(ながよし)は、阿波の国(徳島県藍住町勝瑞)勝瑞城を阿波三好一族とともに本拠地としていた徳島の偉人です。現在、勝瑞城、勝瑞城館の跡地は、国の史跡に指定され、広大な土地での発掘調査が進められています。

三好長慶は、室町幕府体制から脱却した中央政権として、近年大きな注目を集めています。その勢力圏は、山城・大和・摂津・河内・和泉の五畿内、そして阿波・淡路・讃岐・丹波・丹後・播磨東部にまで及びました。この広大な勢力圏を治めるため、長慶を支えたのが多くの一門・重臣たちです。

三好長慶をはじめとする三好一族は、阿波(勝瑞)を本拠とし、天下にその名をとどろかせた戦国大名でした。しかし土佐を統一した長宗我部元親が阿波に侵攻し、天正10年(1582年)8月28日の吉野川中富川の合戦で三好方が敗れ、勝瑞城で籠城するも、折からの大洪水により、9月21日に三好方は城を元親に明け渡し、その後、阿波三好氏は滅亡し、勝瑞城は元親によって破却され、阿波の中心として繁栄した勝瑞は衰退したとされています。

勝瑞城は、当時、吉野川はいくつもの川が複雑に編み目のように入り組みながら蛇行して河口部へ流れ込み、多くの地域が川中島になっていました。勝瑞城は、旧吉野川から今切川が分かれる付近の川中島にありました。そのため、吉野川の洪水により浸水被害に見舞われていました。

また藍住町の洪水・高潮ハザードマップでは、旧吉野川に近い勝瑞城跡、勝瑞城館跡は、洪水や高潮に浸水想定区域になっていて、加えて河口に近いため津波の浸入もある洪水、高潮・津波などの水害リスクが高い地域です。

このように、かつて洪水や高潮に見舞われていた当時の吉野川の氾濫原に位置する、三好長慶の出身地である勝瑞地区は、現在の住民や観光客にとって、吉野川沿岸部の平地の水害リスクへの注意を促し、防災意識を向上させる上で、非常に有効な情報となると考えられます。

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防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

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