松山城築造と日招八幡神社の『おとよ石』にまつわる伝説(松山市)

『おとよ石』は、愛媛県松山市保免西の日招八幡大神社境内にある大きな石で、松山城を築城した加藤嘉明の家紋である「丸に二の字」が刻まれています。この石は、築城のために各地の大名から松前港に送られた石垣用の石の一つでした。この石と松山城の現地調査の結果から紹介します。

伝説によると、この石は松山城築城の際に石垣用の石を運んでいた「おたたさん」と呼ばれる女性の一人、おとよが運んでいたものです。おとよは、重労働で疲れきっていましたが、重い「丸に二の字」の入った石を運ぶことを志願しました。しかし、出合を過ぎたあたりから足元がおぼつかなくなり、日招神社の場所まで来たところでついに倒れてしまいました。おとよの健気さを哀れんだ人々は、彼女が運ぼうとした石を「おとよ石」と名付け、この神社に残すことにしました。この石は、大正2年に保免地区の耕地整理の際に田んぼの中から見つかったもので、重さは307.5kgもあり、この伝説が生まれたと考えられています。

松山城を築城した加藤嘉明は、関ヶ原の戦いの功績により20万石を与えられ、新しい松山城を勝山の地に築城することにしました。松前港から松山城までの道のりは約9kmあり、登り勾配が続いていました。標高で比較すると、松前港の地盤は2.1m、日招八幡大神社は11.3m、松山城の黒門口登城口は22.8mとなっており、松山平野は松前から松山にかけて登り勾配になっていることがわかります。石の運搬という重労働は、「おたた」の協力によって成し遂げられました。

、築城に協力した「おたたさん」は、後に「御用櫃」の焼き印が入った桶を頭に乗せて松山城下で魚の行商をすることが許され、商業権を得ました。現在、「おたたさん」は松前町のイメージキャラクター「おたたちゃん」として、町の広報に貢献しています。

この伝説は、松山城の築城における城主と「おたた」の協力が、今日の社会資本整備における住民参加の重要性を示唆しているとされています。地域社会の発展には、住民一人ひとりの積極的な参加が不可欠であり、昔も今も、住民の協力なしには社会資本整備は進められないという教訓が示されています。

この写真をクリックして、現地探訪用個別調査表や写真等をご覧ください。

防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-

本サイトは、四国各地の土地柄(過去の災害経験)から、災害を未然に防ぐ目的をもって行われる災害時の避難行動や普段の備えにも生かされている取り組み、知恵・教訓が石碑などに伝承され、今日の防災に活かせる教訓がある防災風土資源の情報と誰でもが簡単にできるローテク防災術を紹介するサイトです。