忘れないで82年前の南予の昭和18年水害痕(西予市・八幡浜市)
昭和18年(1943年)7月の台風による記録的豪雨は、南予地域に甚大な被害をもたらした。西予市宇和町では、滝奥池と河内池の堤防が決壊し、人家倒壊や田畑流失という未曾有の災害が発生。その復興の様子は、河内池堰堤下の「都宮宇作殿頌德碑」(昭和29年建立)に刻まれています。この石碑やため池決壊、肱川氾濫、五反田川氾濫と多岐にわたる西予市・八幡浜市の現地調査の結果から紹介します。
この水害では西予市野村町で肱川が氾濫し、八幡浜市神山地区では五反田川が氾濫し、橋梁流失や人家倒壊などの被害が貴重な写真などに記録されています。
この一帯は現在もため池ハザードマップで高い浸水リスクが示されており、82年前の被害は現代の防災を考える上での重要な教訓となっています。この82年前の肱川氾濫で浸水した野村町三島橋付近の集落が、その75年後、平成30年7月、再び肱川が氾濫し、逃げ遅れた人など、5名の犠牲者がでました。
この平成30年7月水害は、野村ダムの異常洪水時防災操作(緊急放流)で全国の人に知られましたが、このように南予地域では、82年前の昭和18年7月水害が発生していたことを忘れないで、その75年後に発生した平成30年7月水害を今一度思い出して、その類似性と教訓を学び、今後の水害に備えることが大事です。
現在の西予市、八幡浜市は、肱川や五反田川の氾濫原を中心とした地方都市に発展していますが、これらは昔の水害の悲劇の教訓を活かし、野村ダムや道路という社会資本の整備によって発展してきた歴史文化を持つ街です。
これらの貴重な記録から得られる教訓は、私は、下記の3つと考えましたが、皆様が、どのような教訓を得るかは分かりませんが、きっとあるはずです。
1) 地域の災害史の継承と学習、
2) 公助としての社会資本の重要性
3) 今後の水害に備えることが大事
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