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2023.02.26 12:07

二頭出水(ふたがしらですい)の水争い(善通寺市)

  善通寺の門前町であった善通寺市は、金倉川の扇状地平野にあって地下水が豊富な土地で湧水や出水がたくさんあることが知られています。昔から農業用水や飲み水などの重要な水源として利用されていました。しかし干ばつの際には、出水を巡る水争いが起こっていた記録が伝承されています。...

2023.02.15 22:08

平成三十年文月西日本豪雨災害伝承碑(野村町)

西予市野村町の三嶋神社には、平成30年七夕の西日本豪雨災害伝承碑が建立されています。碑には、平成30年7月7日の西日本豪雨による肱川の氾濫で三嶋神社は境内から3.9mの高さまで浸水し神輿蔵は水没、手水舎と社務所が流失し、氏子においても700戸近くの家屋が浸水全壊等の甚大な被害を受...

2023.02.15 21:49

久保高井の山崩れ災害記念碑

香美市物部町久保高井には、今から約235年前の昔、この地区を襲った豪雨により大規模な山崩れが発生した土砂災害の記念碑があります。その時の土砂災害の天明8年(1788)7月26日の様子を描いた当時の絵図や災害記録が残されています。現在、久保高井地区は、耕地整理が行われ土砂災害で被害...

2023.01.25 08:53

江戸期から伝わる南海大地震に関する貴重な室津港の史料

  室戸市には、江戸時代に作られた室津港があります。その室津港の「湊番役(みなとばんやく)」を務めた久保野家には、江戸期から伝わる南海大地震に関する貴重な室津港の史料があります。現在、県立高知城歴史博物館に寄贈され保管されています。史料には江戸時代に起きた宝永、安政地震...

2023.01.19 08:55

安政地震の住吉神社津波伝説碑

香南市吉川町吉原の住吉神社には、最近、地元住民らの手によって建立された安政地震(1854年)の津波伝承碑があります。その津波伝承碑には「【安政元年(一八五四年)寅の年、天地を揺さぶる大地震とともに激しい大雷鳴がとどろき、村に大津波が押し寄せた。‥(中略)・・住吉神社へ逃げた人達の...

2023.01.08 06:50

史跡が多く残る明治改修で遊水地化された善入寺島

吉野川には、河口より27km~32km付近に吉野川最大の川中島の善立寺島があります。この善入寺島は吉野川の洪水対策として明治改修で全島買収により遊水地化されました。当時、島には宮の島村や粟島村などいくつかの村があり、約500戸、3000人あまりが住んでいました。現在は、平坦な土地...

2022.10.30 22:30

『現地探訪用』四国の津波避難タワー等写真集(更新版)の発行について

四国には令和4年10月現在、津波避難タワー等が139基整備されています。その状況を平成29年11月に公開している写真集の更新版として、四国防災共同教育センターから発行したので紹介します。タワーのある場所が、どの程度、海岸から離れている場所にあるかなどが分かると思います。この写真を...

2022.10.24 21:49

南国市に整備された⑮スポーツセンタータワー

四国で令和3年6月以降、現在(令和10年10月)までに新たに整備された津波避難タワーは3基あります。そこで四国津波避難タワーマップのフォロアップ調査として、令和4年10月、高知県南国市に17つ目に整備された⑮スポーツセンタータワーの状況を令和4年10月18日に調べてきましたので、...

2022.10.24 21:44

土佐市に整備された宇佐津波避難タワー

四国で令和3年6月以降、現在(令和10年10月)までに新たに整備された津波避難タワーは3基あります。そこで四国津波避難タワーマップのフォロアップ調査として、令和4年3月、高知県土佐市に3つ目に整備された宇佐津波避難タワーの状況を令和4年10月14日に調べてきましたので、その結果を...

2022.10.24 21:37

美波町に整備された奥河津波避難タワー

四国で令和3年6月以降、現在(令和10年10月)までに新たに整備された津波避難タワーは3基あります。そこで四国津波避難タワーマップのフォロアップ調査として、令和3年10月、徳島県美波町に6つ目に整備された奥河津波避難タワーの状況を令和4年10月23日に調べてきましたので、その結果...

2022.09.26 12:37

那賀川の水利の歴史を伝承する堰・用水碑

昔の那賀川平野の稲作は、那賀川の流れが蛇行して水当たりとなっている場所から旧河道を通して引き込んだ水が届く範囲と、河跡池の湧水がある低湿地帯に限られ、少し高い農地では「水車」が使われていました。その水利の不便を解消するため、先人は那賀川に、藩政期・明治期に多くの堰や用水路を造り石...

2022.09.24 23:31

水神を祀る社が数多くある那賀川下流域の防災文化

那賀川は、洪水の氾濫や破堰・修復のくり返しの歴史があり、那賀川を生活の場とする住民は、要所に水神を祭って、その怒りを鎮め、加護を祈った水神社が数多くあります。これらの水神社には、治水・利水を巡る悲しい逸話などの伝承が残っております。これらの水神さんと呼ばれる社の2022年9月2日...

Copyright © 2025 防災風土資源&ローテク防災術 -香川大学客員教授松尾裕治-.